飛べサル・サルバドール


狭いわが部屋を年々浸食していくレコードたち。ときどき整理というか入れ替えしてみたり、しばらく聴いていなかったものがあればチョイとターンテーブルに載せてみる。
最近そんな中の一枚だったのが、米ジャズギタリスト、サル・サルバドールの『フリヴァラス・サル』。これの日本盤のライナー(野口某氏)の冒頭には、「31才の若さでこの世を去ったサル・サルヴァドールのかくれたる名盤」と書いてあって、自分の頭の中にもすでにその情報は入っていたので、ハイハイそうでしたね、という具合に生協で買ったかりんとうを食べながら続きを読み進めていた。
サル氏は1925年のうまれ。そしてこのアルバムは1956年の録音。おや、これ死んだ年の録音だったのか?とちょっと気になりだす。このアルバムの演奏は、決して悪くはない。むしろけっこういい。でも、自分にとってはどうしても中庸な印象が残るし、上手だけどギターのトーンもちょっとばかし弱い。気に入る人は多そうだけど、自分には名盤じゃない。でもひょっとしたら氏の最後の録音なのかな、よく聴いてみよう、とか思いつつ、かりんとうを頬張りながら聴いていた。それでもまあ音の印象はあまり変わることはなく、再びライナーに目を通したところ、ピアノとヴァイブのエディ・コスタの略歴の箇所に、「31才の若さでこの世を去った」と書いてあった。アレ?
推測するにこのちぐはぐは、野口某氏の書いた文章に、別の人物が本文をよく読まずに冒頭の分を差し込んだためと思われる。どうやらサル氏はこのアルバムの後も活動を続けて70余才くらいまで生きたみたいだ。しかしながら、この時まで僕に31才で死んだと誤って認識されていたサル氏が少し気の毒に思えた。たとえ日本のいちリスナーだけだったとしても。
今年は多くのミュージシャンの訃報があり、しかも自分としても影響を受けた方たちが亡くなったが、その方たちと同様に、その時サル氏のことも初めて追悼したい気持ちになった。でも、こんな小さなエピソードひとつで、印象深い盤がまた増えていく。

 

そして話が変わるようだが先日、けっこうな間探していた本、色川武大著『唄えば天国 ジャズソング』を古本屋で見つけ購入。だいじに味わって読んだ。
あきれたぼういずファッツ・ウォーラー二村定一などさまざまな人びとや曲にまつわる話を、文字通り氏の目線で、見て聴いてきたとおりに綴っているようだった。楽しい本、と素直に言いたい。日本のジャズ、そしてクリスチャンやジャンゴ、クラムもそうだしあがた森魚だったりも、いろんな音楽のルーツ(そのルーツにもルーツがあるものだが)を巡っていくなかで、ばったり出くわしたいような本だ。「僕のいとしい唄」は、やっぱり僕にもたくさんある。